Everything happens to me

色々な事が起きてる身の回り。退屈なような毎日だけどアウトプット中心に記録してます

コーヒーカップ

家族が大事に使っていたコーヒーカップでフルーツヨーグルトを食べているのに気が付いたのはもう何年も前の事。

私は小さい頃から、コーヒーカップはコーヒーや紅茶等を飲む以外に使ってはいけないと親から言われ、そう信じていた。何かそれが暗黙のルールだったように思う。

だから、そんなことするとは夢にも思っていなかったのです。気が付いた時は、人様にはあまり細かい事を言っても家々のルールがあるので『変な人に思われるのじゃないか?』とか『神経質な人間に思われるのかな・・』と考え、いつも何も言わなかった。それに、大人だから気がついてくれるだろうと変な期待もあったのです。

誰のせいじゃないけど、こういう時イライラはします。大人なのに『どうしてそんな事をするのか?』と。そして、とうとうある日気がつきました。この白いコーヒーカップの内側、特に底辺にグレーの筋がたくさん入っていました。(写真)
きれいに洗っても全く取れません。白くてマットな質感のコーヒーカップには致命的な事でどうしても汚れている様に見えてしまいます。

どうメンテナンスしたら良いかわからず、少しだけなら・・と様子を見ていましたが、どんどんひどくなる模様。ググてみると数は少ないですが、記事がありました。それによるとクエン酸で少し浸して優しく柔らかいメラニンスポンジ(ゲキ落ちくんの様な物)でゆっくり擦る?といい様です。

早速、やって見ました!

浸す時間が短かったせいか全くなくなった訳ではなくて、薄くなって目立たなくなったようです。大成功とはならなかったのですが気長に何度か挑戦するときれいになる可能性は高いように感じました。

その作業を見て、(結構大作業に見えたようです)事情を理解した家族(張本人)は愕然。今更ですか・・と思いつつ、ガツンと言っておきました。なぜなら、私以上にこういう傷を汚れじゃないかと過剰反応するのですから。私は茶渋なんかも多少は気にしませんが、そんな小さな事を指摘するのは家族(張本人)です。

気なるところが全く違うのです。でも、物を大切に扱うと言う点では真摯に受け止めてもらえました。本来なら子ども時代にそういう事を学んでほしいと思うのです。愛着と大切に使うとは少しニュアンスが違うような気がします。物は大切に使っても劣化が進んでいつか壊れれば新しいモノに取り替えますが、最後を迎えた時にそのモノを使い切った感じがあって何か爽やかな気持ちになります。愛着があって捨てられずとっておくモノはありますが、使わずに時々見てみると寂しそうな感じがするのは私だけなのでしょうか? やはりモノって丁寧に扱い、充分使っていく事が大切なんだと思っています。